うさぎ定石



 その夜、と跡部はオセロに興じていた。
 と言っても「興じていた」のは専らの方で、跡部はといえば数週間前から土曜の夜の義務となってしまった退屈なゲームをただこなしているに過ぎなかった。
 事の発端はある日が買って来たオセロゲーム(「今日会社でオセロの話したら欲しくなっちゃった」「ドンキーでイチキューだったの、すごいでしょ」)であった。
 そもそもと跡部の家には、が「かわいい」という理由で買ったキャラクターもののチェスセット、が実家から持ち込んだドンジャラ、人生ゲーム、果てはミニ卓球セットまで、同棲中の若い男女の愛の巣には到底似つかわしくない代物が大量に所有されていた。
 しかし、ドンジャラや人生ゲームを二人でやるなどという提案を跡部が受け入れるはずもなく、ただでさえ無駄な物の多い部屋で卓球などもってのほかである。ビショップやナイトが猫の顔をしているのは気に食わなかったが、跡部がこれならやってやってもいい、と思ったチェスについては、残念ながらあまり良いとは言えないの頭が、複雑なチェスのルールを理解することは非常に困難なことであった――ということだけ言っておこう。
 とにかく、買って来たその日、跡部は連敗して火のついたに夜を徹してオセロに付き合わされるはめになったのだった。そしてそれ以来跡部はに「オセロは週に1回、土曜の夜だけ」という取り決めを交わさせたのであった。

 「うーーーん…」

 はかれこれ5分間ほど悩んでいた。今夜の一戦もそろそろ終盤に近づいていた。
 今のところ、の白の石と跡部の黒の石は半々である…ようにには見える。いつもゲームの途中までは、跡部が特別優位にゲームを進めているようには見えないのになぜかいつも終盤一気にボードが真っ黒になるのだ。負ける理由を「なぜかいつも」と思ってしまうところがたる所以である。

 「おい、いつまで悩んでんだよ。考えても変わんねえんだから早くしろ」
 
 の返事が「うーん…」だったので、跡部は諦めて煙草に火を点けて窓を開けた。
 吐き出した煙が夜に溶けていくのを眺めていると、跡部の携帯が鳴った。

 「どうした。…ああ、そうか…。ああ。わかった、じゃあ月曜に」

 跡部は携帯を置くと煙草を最後に一吸いしてベランダに置いた灰皿に押しつけた。

 「仕事の電話?あ、景吾の番だよ」
 「ああ、まあな。来週のプレゼンが…」

 オセロのボードを見て、跡部はをじろりと睨んだ。

 「な、なに?」
 「手ぇ出せ」

 言われるままが両手を差し出し、何もないことを確認すると、次はの着ているパジャマのポケットに手を突っ込んだ。

 「ちょっと、なに、景吾」

 跡部はの言うことはまるで聞かず、今度はオセロのボードを持ち上げてその下と裏を見た。
 ボードを置くと、ついと指を伸ばしてマスの一つを指した。 

 「。ここにあった黒はどうした」
 「く、黒?知らないよ、覚えてないもん、私」
 「あった」
 「そんなわけないよ、何言ってるの?景吾」

 跡部ははあっと息を吐くと一気に言った。

 「俺とお前の残りの石はそれぞれ4個ずつ、今日は俺が先攻で始まったからそれはいい。だがボード上の残りのマス数は9だ。ひとつ足りねえなあ?」
 「…じゃあ最初から1個なかったんじゃない?」
 「先週やった時あったのにそれはありえねえな。どこに隠したんだか知らねえが早く出せ」
 「だ、だから知らないってば、さっき見たけどなかったじゃん!」
 「脱げ」
 「え?」
 「脱げっつってんだよ、全部。早くしろタコ」

 がおたおたしていると、跡部の手が伸びてきてのパジャマのボタンを外した。

 「ちょっと、やだ、景吾ってば、そういうのはオセロ終わったあとで…」

 ぽと。ころころころ。

 「「…………」」

 「…まあ、バカなりに石を隠すアイディアを思いついたことと、どの石を隠せば自分が有利になるか考えられたことは褒めてやる。だがな」

 跡部がの服(おそらくは下着)の中から出てきた石をもとの位置に置くとぱちんと音がした。

 「俺は嘘をつく女は嫌いだ」

 そう言うと、跡部はさっさとベッドに入ってしまった。
 オセロの勝負に勝つどころか、オセロの後に愛を営む権利まで失ってしまったは、無駄にパジャマを中途半端にはだけさせたまましょんぼりとオセロを片付けるばかりだった。

 そしてこの夜から先、跡部家のオセロが使用されることはなかった。







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