6時を回って生徒会は一応解散になった。夕子先輩は約束があるとさっさと帰り、慈郎先輩も眠気が頂点に達したらしく帰ってしまった。
 残ったのは、跡部先輩と長太郎と私の三人。
 長太郎と私は職員会議提出用の書類作成が残っていたし、跡部先輩はそもそも誰かより先に帰るというところを見たことがない。
 我が氷帝学園高等部の生徒会は会長の跡部先輩、副会長の夕子先輩、書記の慈郎先輩と長太郎、そして会計の私の五人で構成される。今年の10月まで私と同学年の男子生徒がもう一人の副会長を務めていたのだが、両親の急な転勤とかで転校してしまった。補欠選挙を行うという話も持ち上がったが、今のメンバーなら五人でも充分仕事がこなせると判断されたため、任期がすでに半分以上過ぎていたこともあってその話はなしになった。
 今のメンバー、というよりも跡部先輩の力が大きいのだが。
 会長、書記、と役職に名前はあっても、実際にはあまり関係なく全員で仕事をするというのが学校の生徒会の現状だ。本来ならこれは書記らしい仕事なのかもしれないが、手書きで提出することの多い職員会議用の書類は、私と、字の綺麗な長太郎で作ることが多かった。

 「…喉渇いたね」

 暖房の効いている部屋は乾燥して、唇がかさかさした。
 私の一言に二人がぴくりと反応する。

 「跡部さん、何飲みますか?」

 まだ何も言っていないのに長太郎は自分が自販機に飲み物を買いにいくらしい。彼は、そういう男なのだ。

 「…コーヒー」
 「わかりました。は?」
 「私、ミルクティがいい。じゃんけんしよ、長太郎」

 長太郎は自分が行く気満々だったのだろうが、当然のように彼をパシリに使うというのは気がひける。でも結局じゃんけんは長太郎が負けて、長太郎が行くことになった。長太郎が生徒会室を出て、また跡部先輩と二人になる。
 と思ったらそうはならなかった。

 「あれ、忍足さん?」

 廊下から聞こえてきた声を敏感に察知して、私は席を立った。跡部先輩はちらりと私を見たが何も言わない。
 本来時時間外労働であるところの今、生徒会長の許しを請う必要はないのだが、私はそれを許可と受けとって生徒会室を出た。

 「何やってんの」
 「もう生徒会終わったかなぁ思て」

 侑士はズボンのポケットに手を突っ込んで胡散臭い笑みを浮かべている。侑士の笑い方が胡散臭いのはいつものことなので私は気にしない。

 「長太郎、私やっぱりミルクティいらない」
 「え、あ、うん」

 生徒会室に戻ってやっていた書類をざっとまとめてファイルに入れた。

 「それ置いて帰れ」
 「…え」

 跡部先輩は仕事を中断して私を見た。
 この書類はそんなに急ぐものではない。やれるならやっておこうと思ってやっていただけなので、本当は家に持ち帰ってまでする仕事ではないが、跡部先輩に続きをやらせる仕事でもない。

 「じゃあ、お願いします。お先に失礼します」

 だからと言ってそれを口には出さない。私は人より先のことを考えて行動するタイプだと思うが、跡部先輩はその三つも四つも先の設計図を頭に描いている。
 きっと今日も、私にはわからない利点があるのだ。
 荷物をまとめて廊下に出ると、長太郎と侑士が雑談を交わしていた。跡部先輩も含めて長太郎と侑士は、同じテニス部の先輩後輩だ。

 「用意、できた。帰ろう。長太郎、私先に帰るね」
 「うん、また明日。お疲れ様です、忍足さん」
 「うぃー」

 私と侑士は昇降口へ、長太郎は自販機へ、それぞれ別の方向へ歩いていった。





 私の歩くスピードに、侑士は苦もなくついてくる。
 初めて二人並んで歩いた時から侑士は驚きもせず私の隣に並んでいた。

 「なんで今日こんな時間に学校いたの」
 「今日な、部活行っててんよ」
 「ふーん」

 もう部活を引退している侑士は、たまにこうして後輩指導に部活に行く。後輩指導が熱心なテニス部の中では頻度は低い方のようだが、侑士がテニス部に愛着を持っていることを私は知っている。あまり顔には、出さないけれども。
 跡部先輩もよく後輩指導に行っているらしい。まったく、会長の過密スケジュールの中からどうやってそんな時間を抽出しているのか不思議でならない。

 「侑士、今日何食べたい?」
 「ん?んー。餃子」
 「却下。包むの面倒くさい」

 外に出ると12月の日没というものは早いもので、もう辺りは真っ暗だった。この様子だとテニス部の練習が終わったのは一時間以上前だろう。侑士は待っていてくれたのだ、私を。
 侑士は自分から生徒会室に立ち入ることは絶対にしない。

 「そうだ、冷蔵庫にささみあったよね。あれでいこう」

 私の両親は共働きで、帰ってくるのは毎日11時を過ぎる。かと言ってそれが家族の不和を呼んでいるというわけでもないのだが、夕食を一人で食べるという事態は避けられなかった。そこで、今年の春あたりから毎日夕食は侑士の家で作って二人で食べるというサイクルが確立したのだ。私は侑士の家に泊まることだってままあるし、侑士の家には歯ブラシやらスウェットやら化粧水やら私のものがたくさんある。こういうのを世間では半同棲と言うのだろうか。

 「寒ー」

 侑士はマフラーを口のあたりまで引き上げた。寒いからと言って侑士は手を繋いだりはしない。私がそういうことを好まないのを知っているからだ。

 「侑士」
 「ん?」
 「これ。貸してあげる。手袋」

 とにかく――要するに、気遣いのできる男なのだ、忍足侑士という人間は。





 「ー椎茸298円て安い?」
 「…普通」

 途中寄ったスーパーで高らかに椎茸を掲げる侑士にかごをずいと差し出すと、ぽとんと中に落とした。
 まったく、椎茸の相場もわからないなんて侑士は私が現れるまでどういう食生活をしてきたのだろう。料理を手伝わせればそれなりに器用にこなすのだが。
 この手の問いはいつも途中まで考えて中断する。
 私は侑士の過去に興味はない。
 スーパーの中でかごを持ち歩くのはいつも私だが、スーパーから家まで買ったものを持つのはいつも侑士だ。
 私たちは高校生にしては会話の少ないカップルかもしれない。侑士が鼻歌を歌うのを聞きながら、私は黙って歩く。





 自分で作ったささみと椎茸の炒め物を突っついていると、侑士が醤油の瓶を落とした。
 落とした、と言っても彼はそれが床に着地する前に受けとめたので、大事には至らなかったが。

 「、クリスマスどうする?」
 「ケーキ食べる」
 「うん、それもええけどどっか行けへん?」
 「いいけど、別に」

 私たちは普段一緒にどこかへ出かけるということをあまりしない。ほとんど毎日侑士の家に通っている私にとって、デートというものはあまり意味を成さない。
 侑士は自分の家にいる時も、平日私がいれば制服のままだ。着替えればいいのにと思うが、老け顔の侑士が私服になると、まるで一人暮らしのサラリーマンとその家に入り浸っている女子高生のような構図になるのでそれはそれで少し嫌かもしれない。

 「侑士、じゃんけんしよっか」
 「おう。じゃーんけーんほいっ」

 また私が勝った。どうやら今日はついている。
 少し悔しそうに食べたお皿を流しに運ぶ侑士を見ながら思った。
 今度の土曜には、餃子を作ってあげよう。







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