太陽の光がレースのカーテンからまばらに射し込む。その角度からもう10時は回っているとわかる。
 私はなるべく掛け布団の外の空気に触れる面積が狭くなるように手を伸ばして、侑士の向こうのサイドテーブルの上を探った。

 「侑士」
 「んー…?」
 「リモコンがないよ」

 侑士の声は少しくぐもっていたが、熟睡中だったということはないはずだ。呼吸が規則的ではなかったし、侑士は熟睡している時仰向けにはならないから。
 侑士が何かごそごそやった後、ピピッという音とともにエアコが温風を吹き出させ始めた。

 「下に落ちてたわ」

 私は返事の代わりにお腹空いた、と言った。





 朝起きて食事の支度をするのは誰だって億劫なものだし、加えて私は低血圧だ。それにいくら長く付き合っていたって寝起きの顔など彼氏に見られたいものではない。侑士がそこまで考えているのかどうかはわからないが、侑士の家に泊まった朝の朝食は前の晩に情事があろうとなかろうといつも侑士が作ってくれていた。
 侑士の部屋にあるタンスの、私専用の段から服を出して着替え、顔を洗い髪を梳かしてからダイニングに入った。

 「おはようさん」

 食卓にはもうベーコンエッグとサラダが並んでいた。侑士がトースターに凍ったままの食パンを入れ、私は冷蔵庫から牛乳を出す。予め温められたカップに紅茶が注がれるのを頬杖をついて見ながら、私は独り言のように言った。

 「今日さ」
 「うん?」
 「晩御飯、なくなっちゃったんだけど、何か作って食べて」
 「ああ…ええよ、適当にするから」

 今日のために準備しておいた煮物は昨日跡部先輩と三人で食べてしまった。
 私は日曜の夜は侑士の家に来ない。滅多に家にいない両親が休みの日曜は、家族揃って夕食を食べることにしているのだ。

 「クリスマスやねんけどな」
 「うん」

 侑士は使い終わったバターナイフを私に手渡した。

 「俺、観たい映画あってんけどたまたまそれの優待券貰えることになってん。それ行かへん?」
 「いいけど。貰うって、誰に」
 「瀬田」

 瀬田というのは、侑士の話に時々出てくる侑士のクラスメイトだ。どうしてその瀬田さんが映画の優待券なんかを持っているのか疑問だったが、私は別に瀬田さんという人のことはどうでもいいので聞かなかった。
 侑士は映画が好きだ。私たちはよくここで一緒に、映画のDVDを観たりする。私も映画は好きだし、クリスマスのような寒い時期にお台場やらディズニーランドやら寒いところを歩かされるのはごめんなので、些か地味だが私たちにとっては無難なデートコースと言えた。
 温かい紅茶が全身に染み渡る。
 もうすぐ今年も授業が終わり、クリスマスが巡って来て、年が暮れるのだ。





 跡部先輩の予告通り、終業式の差し迫った生徒会は目の回るような忙しさだった。部活に出ながらいつもの1.5倍はある仕事をこなそうとする長太郎などは、眠い目をこすっていることもしばしばだった。しかしそんな時活躍するのは、意外にもいつも眠そうな慈郎先輩だ。普段夕子先輩やなんかに寝てないで仕事しろ、と怒られる慈郎先輩が、今はむしろ皆をリードするように凄いスピードで書類や原稿を上げていった。
 終業式前日の今日は、時計が午後8時を回ってもまだ私たちは全員生徒会室にいた。それまでほぼノンストップ状態で仕事を続けていたものの、どうやらこれは長丁場になりそうだということで2年である長太郎と私が自販機まで五人分の飲み物を買いに行くことになった。

 「跡部先輩はコーヒーで、慈郎先輩はココア、夕子先輩はコーンポタージュであんたはほうじ茶でいいんだよね、長太郎。…長太郎?」

 …驚いた。長太郎ときたら立ったまま眠っている。

 「…あ?うん、え、なに、うん、いい。いい」

 私はふうとため息をついて、かまわずどんどん買うと長太郎に2本持たせた。
 3本の缶を持って廊下をサクサク歩きながら、後ろからついてくる長太郎を振り返った。

 「明日で終わりだからさ。もう少し、もう少し」

 長太郎はこくりと頷いて小走りになった。まあ、その頃には生徒会室の前まで来ていたからあまり意味はなかったけど。
 私たちはそれぞれ温かい飲み物を飲みながら、束の間の休息を楽しんだ。跡部先輩だけは出来上がった原稿を見て何か考えながらコーヒーを飲んでいたけれど、さっきまでずっといたパソコンのデスクからこっちの長机に移ってはいた。

 「腹減ったー。夕子今日はお菓子持ってないのー?」
 「持ってたけどあんたが食べたんでしょうが」

 疲れている時ほど、慈郎先輩と夕子先輩の明るさは救いだ。
 隣で未だうつらうつらしている長太郎を見ていたら、私まで欠伸が出そうになった。それを噛み殺して残っていたミルクティを一気に飲むと、跡部先輩が使っていたのとは別のパソコンのデスクに座った。

 「あれ、もう休憩終わり?」

 ひっかかって出てこないコーンの粒と格闘していた夕子先輩がいちはやく私の動きに気づいた。

 「ちょっと確認し直したい所があって。皆は休んでてください」

 私はパソコンが好きではないが、目にしみる青白い光は閉じようとする目をこじ開けるにはうってつけなのだ。
 パソコンのファイルから二学期の決算報告書を呼び出し、画面をスクロールした。集中力を欠いているのか、なかなか目当ての場所が見つからない。

 「ここだろ」

 不意に降ってきた声に横を向くと、跡部先輩がデスクに手をついて画面を指さしていた。

 「あ、はい」
 「2年の修学旅行の積み立ての内訳、『諸経費』になってた所内容確かめて直しといたから」
 「はい」

 なんだ。やっぱり跡部先輩は抜かりない。ここは跡部先輩の担当ではなかったのにいつの間にやったんだろう。

 「お前いつもあんなことやってるのか?」

 跡部先輩の唐突な質問に私は首を傾げた。

 「何がですか?」
 「餃子」

 ああ、餃子。餃子ね。

 「別にいつも餃子作ってるわけじゃないですけど」
 「…そうだろうな」
 「それより跡部先輩は大丈夫でしたか?臭い」
 「臭い?そういやついてたな、服に」
 「…やっぱり。失礼しました」
 「味まで悪かったって言ってるわけじゃねえだろ。おい、ちょっとそこどけ。続きは俺がやる」

 そう言われてまた私はすぐに長机の方に戻らされてしまった。私がパソコンを使っていると、なぜか跡部先輩はよく仕事を代わりたがる。私はパソコンが嫌いだと口に出して言ったことはなかったから、レジュメの清書を跡部先輩がやるようになったのは本当は直接の原因は跡部先輩にあるのだ。
 さっきより幾分覚めた目を数回瞬かせて、私はシャープペンシルの芯をカチカチと出した。
 この日、私が侑士の作ってくれた夕食にありつけた時、時計の針は10時を過ぎようとしていた。





 残業の甲斐あって次の日の終業式は首尾よく進んだ。私も会計として決算報告を読み上げ、跡部先輩の生徒会長の言葉は氷帝学園高等部二学期の締めくくりとなった。
 その日の放課後、生徒会役員は再び生徒会室に集まり、簡単は反省会をして今年の活動は終了になった。次に集まるのは年明け、大して仕事のない始業式の準備もほぼ終わっているので、始業式の前日ということになった。これが部活だったら冬休み中でも活動があるのだろうが、毎日通っていた生徒会室に二週間以上も来なくなるというのはなんだか悲しい。そうは言っても、そう思うのは私が暇な立場にいるということが大前提なのだが。
 一人、二人とぱらぱら生徒会室を出て行く。私も早く終わるとわかっていた今日は、侑士が昇降口で待っているのでてきぱきと帰る準備をした。

 「お疲れ様です。お先に失礼します」
 「おつかれーよいおとしをー」

 帰るのが面倒くさいと長机に伏せていた慈郎先輩が手を振る。もう一人残っていた跡部先輩は、生徒会に関係あるのかないのか何かを書いていた。私に気づくと顔を上げてこちらを見たので、軽く会釈すると「お疲れ」と言った。





 「ん」
 「何?」

 私は帰り道の途中で侑士に手渡された封筒を開けた。中に入っていたのは、細長い、真ん中より左に切り取り線が入った紙が二枚。

 「これ、どこの映画?」
 「ドイツ」
 「ふーん」

 明らかに英語ではない言語で書かれたタイトルを見ながら、俳優と監督の名前を確かめた。いずれも、見たことがない。
 メジャーだろうがマイナーだろうが、そんなことはどちらでも良かったが、マイナーと思われるこの映画なら映画館が混むことはないだろう、と思いながら鞄にしまった。

 「映画見た後どっか食べに行こや」
 「え、何ケーキ?」
 「いや、ちゃうくて飯」
 「ああ、いいよ、侑士場所決めてね」
 「が作ったん食べたないんとちゃうねんで?」
 「そんなこと誰も言ってない」

 風は冷たいけれど、今日はまだ太陽が高く昇っているのでいつもよりは暖かい。
 侑士と外食なんて久しぶりだと思いながら、食事の話を出されると今夜のメニューのプランが頼みもしないのに頭の中で勝手に作られていく。

 「ケーキは買って帰ろな」
 「別にそこで食べて帰ったっていいけど」

 ああ、そういえば私が食事を作るのは久しぶりだ。
 頭の中で出来上がっていたメニューの中に、侑士の好きな蛸とわかめの酢の物を一品加えた。







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